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2011年4月18日 (月)

ラーゼフォン 多元変奏曲 (4/17)

 引き続き劇場版を観ました。

 以前観たエウレカの劇場版と同じようにTVシリーズの映像を繋いで、一部新カットを加えて別ストーリーに仕上げています。
 とは言え、あそこまで全く違う展開にはなっていません。
 基本的にはTVシリーズと同じ筋道を通って行きますけど、2時間の枠内に収まるように登場人物をバッサリ整理して、登場しなかったり綾人達主役の二人に絡んで来なかったりとかなりシンプルになっています。
 メインはあくまで綾人と遥のラブストーリーになっていて、全体の構成がスッキリしている分こちらの方がストーリー展開のパッケージングは優れているように思えます。

 基本的なエピソードは同じですが、重要でない部分はかなりカットされています。
 ですけど遥と綾人、浩子と綾人の関係を説明するシーンが追加されていて、それぞれの立ち位置がTVシリーズより解りやすくなっています。
 主役の二人に関しては、お互いの再認識がTVシリーズより前倒しされていて、かなり早い段階で過去の想いを取り戻しています。
 東京ジュピターからの逃避行~浩子のエピソードという中盤の重要なポイントを経て直ぐに綾人は遥と結ばれます。
 久遠の扱いが大幅に変わっている関係で、樹や真などの描写も随分変わってしまい、恵も単なる脇役になってしまっているので、ハーレム要素はかなり薄くなりました。
 最大の変更点はラストシーンで、TVシリーズの調律された世界でみんなが暮らしている、という展開にはなりません。

 ラーゼフォンと一体化して人で無くなる綾人、というところまでは同じですが、そこで新たな世界を作っても綾人自身はその世界に存在しない、ということを遥に告げ、そこから二人の行方はどうなるのか?というのが最大の見どころなんですが、ここでは触れません(笑)

 観て確かめて下さい。

 バッドエンドでは無いけど、手放しのハッピーエンドでもないかなぁ~。
 ほんのり切なく寂しいけど、救いはあるような?そんな感じです。

 蛇足

 エヴァとこの作品の似通っている点云々は観て確認して欲しいところですけど、登場人物の描かれ方の部分で根本的に二つの作品は異なっていると思います。

 エヴァでは碇シンジを中心にして、彼の自立、彼を含む個々のアイデンティティの確立のようなものを描いていたように思いますが(あくまでTVシリーズENDまでのお話です)、この作品では綾人と周囲の人々の調和、あるいは共鳴への回帰のような感じで、綾人達が本来あるべき和音の響きの中に溶け合って行くようなイメージを持ちました。
 前者では自らの意思を明確に表すことが出来ず、埋没することで攻められることも無い代わりに得られることも無いような状況だったシンジがエヴァのパイロットに指名されることで否応なく個としての立場の明確化を求められ、打ちのめされながら成長しアイデンティティを確立し、自らの居場所を探し出していく過程を描いているのに対し、この作品では東京ジュピターという閉鎖された世界に埋没していた綾人が解放されることで失われた関係を取り戻し調和させ、自らの力で新しい世界を構築して行くという違いがあります。

 そもそも14歳の中学2年生と17歳の高校2年生では年齢的にも全く異なる訳で、当然後者の方が一歩も二歩も大人としての振る舞いが出来る訳ですけど、シンジの場合は嫌な言い方ですけど、良くも悪くも中二病的状況に陥っていて、困ったことにそれが制作者サイドも同じ症状を持っていた、というのが最大の悲劇だったと思います。
 正直ラストの展開は放り投げていると思われても仕方ないと思いますが、それを言い繕うかのような焼き直し版の制作を続けているのが少々鼻白む、というのが率直なところです。
 綾人は基本的に理知的で、強い意志を最初から持っており、行動力もあります。
 外の世界に溶け込むのが早く、やや素直すぎるような気もしますけど、シンジと比べるとはるかに大人な対応をしています。
 これは3年間の成長の時間差も当然ながら、根本的な人間形成の部分での違いなんでしょうね。
 綾人の育った環境もシンジと似たり寄ったりで、それほど幸福だったとは思えないですが、父親だけと実態は違ったとは言え母親だけの家庭ではやはり後者の方がマシと言えたのでしょうか?
 まあゲンドウ氏が良い父親だったとは到底思えないんですけど(笑)

 ラーゼフォンの劇場版では中学時代の綾人と遥の描写が追加されていて、遥が珍しく帰宅していた麻弥に「綾人をよろしく」と言われるシーンが出てきます(綾人は家に連れ込んでいいことしようと企んでいたっぽいですけどw)。
 劇場版では設定も綾人の実の母親になっているんですけど、ラスト近くで遥がもう一度同じ台詞を麻弥から聞かされるシーンがあり、この辺り結構感動的です。
 結局のところ、ムートリアンだろうと人間だろうと人と人の結びつきは変わりゃしないんですよね。
 まあアニメのキャラのお話なんですけど、その辺りの作り方はこの作品の方がすんなり受け入れられるかなぁ。
 エヴァでは個々のキャラがそれぞれ別個に立ち上がってしまい、シンジとレイの関係を除き、バラバラのままで終わってしまうので、どうも180度に近い違う角度で世界を見ている人が作っているんじゃないか?と思える程異なる見え方をしています。
 それぞれが勝手に自己主張している、という訳でも無いんですけど、ドミノ倒しのように他の誰かを生かすために倒れて行ったり、見当ハズレのようなセカイを構築しようとしたり、基本的に人間嫌いなんじゃないか?と思えるような素地を無理矢理こねくり回して作ったから崩壊した世界になってしまったように思います。

 表面的な演出技法や、個々のエピソードに似通った印象を覚えたり、同じような設定があっても、観終わった後の後味が全く異なるのは、その辺りの素地に端を発するものがあるからじゃないかと思っています。
 なので比べて観ようとしたところで直ぐに違いに気が付きそうなものだと思うのですけど、模倣にしか見えない人はどういう見方をしているのか、その辺りとても不思議です。
 

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